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新しく信仰のエッセイシリーズが始まりました。お読みくだされば幸いです。

証@ イエス様を信じるまで 証A 救いを実感するまで
証B 選ばれ愛されていることの実感 証C 信仰のあり方について
証D 受 洗 証E 苦境を越えて再び信仰へ

証@ イエス様を信じるまで 

          弱く小さき者より

 

私がこれまでに受けてきた証を皆様にお伝えしたいと思います。

 いろいろありますので、順序立ててお話しすることとし、今回はまず、イエス様をキリストと信じ、受け入れると、心の中で打ち明けるまでの歩みについてお届けしたいと思います。

 断続的ながら、ここ16,7年に渡り、私はずっと救いを求め続けていました。それがなぜ、いままで達成されなかったか。一因として、キリスト教に対する私の誤解が挙げられます。

 私が中学生になったばかりの頃の話です。家に訪問者があり、ある宗教のパンフレットを渡されました。見るとそれは、キリスト教についての簡単な解説のようでした。私は抵抗も感じず、順に読んでいったのですが、ふと、次の言葉にぶつかりました。

「人間は生前悪いことをしたから、死んだら火で焼かれるのです」

 突然、猛烈な拒否感が沸き起こりました。私は、その少し前に父親を亡くしていましたから、まるで自分の父親が悪人だと言われたように感じてしまったからだと思います。「お父さんはなにも悪いことをしていないのに、、なんて教えだ!」と腹が立ち、また、丁重に経を上げて葬ってくれた仏教と比較するにつけ、「やっぱり西洋の神など日本には合わない!」とも思い、そのパンフは破って捨ててしまいました。

 しかし、かなりあとで考えてみると、あれは”まともな”キリスト教ではなく、どうやら偽りの新興宗教だったようです。そうとも気づかず、その時の私はキリスト教の教えだと思いこみ、かなりの拒否感を植え付けられてしまいました。

 そうなんです。実は、受け入れがたい、大っ嫌いな教えだったんです。小学生時代に読んだ「イエス」の伝記も、他のものに比べて、妙に哀れっぽく、そういうところもすごく嫌いでした。

 このあと、私と本物のキリスト教との出会いは、三浦綾子氏の小説を通して、高校時代に与えられました。その時、三浦氏がクリスチャンであることは知らなかったのですが、それと知った後も、なぜかこの方の書かれるものには心惹かれるものを感じていました。

 また、同じ時期、私には不思議とクリスチャンの友人・・それも、いつも一緒にいるような親友レベル・・が、いつもいるようになりました。しかし、その子たちはみな、熱心に神様について語ってくれてた、というのではなく、「クリスチャンなんだ」とか「教会に通っている」とか、普通の会話の中でときどき登場するくらいでした。だから、私は「へえ、そういう人もいるんだ」という程度にしか受けとめていなかったと思います。そのときからから現在に至るまで、私は3回、キリスト教に近づく機会を持っています。しかし、どれも心に受け入れるところまでには至りませんでした。

 さて、仕事で韓国に来まして、2001年4月22日から、知り合いの教授の薦めで教会に通い始めました。しかし、教授の薦めた動機も、私の行こうと感じた動機も、信仰ゆえではなく、単に韓国語学習の一助になれば、というものでした。そのうえ、強制ではないから、気が向かなければ、即やめようとも思っていました。

 実際、教会での礼拝の間、話される言葉のすべてを聞き取ることは、当初の私には不可能でした。だから、集中力もすぐ切れます。そこで、あれこれ自分について考えます。すると、長い人生の内で、どこかに埋もれていた、あるいは、これまで隠蔽していた自分の心の奥深い部分をのぞいたり、忘れていた過去を再び思い出したりすることがありました。そういう作業を続けて、自分をかなり初期の、もしかしたら、生まれた頃から振り返っていました。牧師様のお話も、その日の主題がわかると(たとえば、両親の愛、成人の意味、仕事について、等々)、自らについて思いめぐらせるわけです。すると、なぜか、驚くほどに明晰な回答が得られます。私はこれが気持ちが良くて、教会に行くのが結構好きになっていました。

 ところが、同年6月17日、突如としてある疑問にぶつかりました。それは、「なんのために祈るのか」ということでした。

 この時点では私はまだ神を受け入れてはいませんでした。よく理解の上、納得がいけば受け入れたいとかなり前向きで考えてはいましたが、この疑問にぶつかるまでは、そう慌てることもあるまいと、聖書すら殆ど読んではいませんでしたし、読みたいという気持ちもありませんでした。つまり、教会に通って、そこでなにがしか教えを受け、それを自分なりに解釈して心の平安が維持できるなら、信仰が得られなくても、それまでの自分の考えで十分と思っていたわけです。

 あとから振り返ると、この疑問にぶつかったことは、神からの贈り物であったように思います。私は回答を見つけるべく、キリスト教とはどんな教えなのか、聖書には何が書いてあるのか、みんなどうやって神の存在を受け入れたのか、等々、ホームページを探して、まともそうなものを片っ端から読んでいくと同時に、日本語の聖書も手に入りましたので、新約から読んでいきました。

 このように、もがく私を救ってくれたのは、韓国の信者の方でした。通っている教会の牧師様は、「祈ることは神様との対話だから、難しく考えなくてもいい」と教えてくださり、また、ある学生は、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである」(ヘブル人への手紙第11-1)という一節を示してくれました。

 ここで私は、実は、自分が「祈ること、神に頼ること」を、本当にそのようにして求めてよいのかと、怖がっているのだということに気が付きました。本当は、「確かに信じてよいもの」がほしくて、救ってもらいたくてたまらないのですが、そうすることが、なにやら「苦しいときの神頼み」的で、ずるいような気もし、また、自分以外のものに頼ることは、自主性が破壊され、一層弱い人間になってしまうような気がしていたからでしょう。(この思いの解決には、もう少し時間がかかりました。また、別の機会にお知らせしたいと思います。)

 このように、自分の中には、神を信じることを恐れる部分と同時に、信じたいと求めている部分があることがわかりました。怖がる心は、求める心の裏返しだったのです。その後、彼らと対話を続けるうちに、「祈っても、頼ってもいいのだ」ということが、なんとなくわかってきて、私の中で、神を受け入れたいという気持ちが強くなっていきました。

 そして、6月21日深夜、私は明かりを消した自室で、初めてこれまでの自らの罪を告白し、その赦しを請い、「神を信じ、イエスをキリストと信じ、受け入れます」と唱えたのです。

  さて、次回はより深く私が神を受け入れていく過程についてお話ししたいと思います。

 皆様からのご感想をお待ちしています。感想は掲示板にお書きください。

証A 救いを実感するまで

  本日は、「イエス様の十字架」が自分を救ってくれるのだということが、実感を伴って胸に迫ってきた瞬間について証いたします。

  2001年6月21日に、神様を心に受け入れようと初めて祈った私は、4つの福音書を読み終えました。流れの中で読んでいくと、聖書の言葉が何を意味するのかが、よくわかります。何故にこのたとえを用いられたのか、その意図も伝わってきます。少しずつでも聖書の言葉を自分のなかに取り入れていくに連れ、かつて、「祈っていいのか?信じていいのか?」と悩んでいたことも解消していきつつありました。  

 「イエス様が十字架にかかってくれて救ってくれた」というこの思いが実感を伴ってやってきたのは、その年の7月15日のことです。  

 通っている教会のその週の礼拝のパンフレットの挿し絵が、その日に限り、イエス様が羊をなでている、というものでした(その次の週からは再び変わっています・・今までどおり、教会に光が差している絵です)。私はその絵を見るやいなや、なぜか泣き出したい衝動に駆られました。  

 大勢の人の前で、突然、わけもなく泣くわけにはいかないと、どうにか切り抜けて家に帰りました。その夜、寝る前になって、ふとそのパンフレットを思い出し、鞄から取り出して、もう一度見てみました。すると、やはりこみ上げてくるものを押さえきれません。このときは部屋に一人でしたから、周りを気遣うこともなく、私は気の済むまで声をあげて泣きました。  

 なぜでしょう?  

 挿し絵は、優しげな眼差しのイエス様が、子羊を抱き、その元に寄ってきた別の(大人の)羊の頭をなでているというものでした。罪なきお方、私たちに救しを与えるため、人としてお生まれになり、救いの教えを説かれて、罪ある者の手で十字架にかけられた。それでも、慈愛に満ちあふれたお顔で、そばに寄ってくるものを受け入れておられる。私には、頭をなでてもらおうとイエス様に近寄っていった羊が、まるで自分であるかののように思えたのです。そして、その羊は拒否されることなく、優しげな眼差しをいただき、御手で触れてもいただけた。このとき初めて、私は赦され、そして、このお方が神に取り次いでくだされるのだと、理屈抜きで自分の中に受け入れられたように思います。  

 神はお一人なのであるとか、救いはイエス様の十字架なのだとか、当たり前のことのようでいて、そこを徹底的に理解しておかないと、根底から崩れてしまうときがあるように思います。私は、全能者(=神様)の存在は、比較的早くに受け入れることが出来たのですが、「神の子」とされるイエス様が、どうもいまいち理解できずにいました。十数年前、一度教会に行ってはみたものの、すぐにパス!となってしまったのも、これが一つの原因でした。  

 ですから、十数年前の挫折や、これまでの自分のイエス様に対するあやふやな認識・感情を知っている私にとって、今回、突然訪れた「気づき」は、奇跡と言いたいほどの出来事でした。  

 次回は、私に、「自分が神から信仰を与えられる者として選ばれ、愛されているのだ」という実感がやってきたときのことをお話ししたいと思います。

証B 選ばれ、愛されていることの実感

 

 本日は、私に、「自分が神から信仰を与えられる者として選ばれ、愛されているのだ」という実感がやってきたときのことをお話ししたいと思います。  

 2001年7月25日。夜、寝る前に聖書を読んでからと思って、コリント第一書を読みはじめたときのことでした。  

「・・キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ・・」  

 ほんの触りを読んだところで、私は突然、泣き出したい感情に駆られました。  

 「神が私を愛してくださっている。私は神に愛されている」、そんな感覚が突如として心の奥底からわき上がってきたからです。  

 現在の世界人口が60億余。太古のアダムから数えたら、一体どれだけの人間がこの世に生を受けたのか・・その中の点に等しいような私、その私を神が選んでくださった。選んで信仰を与えてくださり、そればかりか、信仰を持つ以前の私の人生についても、すべてご計画くださっていた。これが「愛」でなくて何なんだろうか。  

 与えられたものは、私が主観的に、良いと感じたものも悪いと感じたものも、すべて神が私に良かれと、私だけのためにお考えになり、与えてくださったもの。そう思うと、これまでのすべてに感謝したい思いが溢れるようにわき出してきました。「罪つくりだ」と思った自らの行為ですら、私が救われるために計画していただいたのだと思うと、なんともいえず有り難くて・・。そういう罪を犯さなくては、私は悔い改めることが出来ず、それゆえ神は罪を犯すことさえも赦してくださった。これまで私が経験してきたことはすべて、私の今に不可欠であった。そのように考えると、何も否定することが見つからず、自分のすべてを受け入れようという気持ちに、自然と導かれたように思います。  

 人間は弱いのですね。他人に私は救えない。他人に頼っても無駄。ということは、人知(=学問のすべて)に頼っても、真の回答は出てこない。私にも私は救えない。たとえ自分のことであったとしても、自力で解決できることなど一つもない。人間に救いを求めても、絶対に見つからない。  

 心の底から、このように気がついて、私は人間に絶望するというよりはむしろ、今までよりも一段と、神を有り難く思い、神を求め、なにより、神の愛の深さ、そして、私自身が神によって愛されていることを溢れんばかりに味わったような気がします。  

 全的に依存するしかなく、しかもそのことは赦されているばかりか、それが神が望んでくださる人間のあり方であるように思います。事柄の大小を問わず、「自力でやるんだ」などと思うことは、人間の自立などでは決してなく、神への離反であり、、人間の傲慢にほかならないでしょう。なぜなら、私が一人で出来ることなど何もなく、私が一人でやっていることなど何もないからです。すべて、私を通して、神のみ技が現れているにすぎないのだからです。  

 そうであるとしたら、私を取り巻く状況、私の周りの人々も同じなのではないでしょうか?みんな気がついていないだけであって、自分の意志で生きているつもりでいて、実は神の支配下にあります。そうして、神はそれらの人達を通して、私を助けてくださる、私を鍛えてくださる、私を愛してくださる。彼らは皆、神の意志の伝達者であり、私に現れる状況は神からのご回答。  

 ああ、どうして私が、私を愛してくださる神の伝達者(=自分を取り巻く人たち)を憎むことがあろうか、愛さずにはいられません。また、なにゆえに私をこれほどまでに愛してくださる神が、神を受け入れ、すがる私に悪い状況をくださることがあろうか、すべては深く深くご計画の元に、私に良かれとくださるものに違いない。  

 なんて有り難いのでしょうか。これほどまでに私を愛してくださる方が、他に一体どこにいるといるでしょうか。私は断言できます、どこにもいないですよ。  

 そうすると、改めて告白したい気持ちになりました。  

 「罪深い私、その罪を過去から未来に渡り、すべてあがなっていただきました。ありがとうございます。神様によって完全をいただき、きよめていただきました。もはや私は神様にすがるしかありません。神様の愛を一身に受け、感じ、御心のままに生かされることを最大の喜びとして、兄弟姉妹を愛し、瞬間瞬間を感謝の気持ちで生きていきたいと思います。」  

 本当に自分が生まれ変わる思いでした。  

 神様を知って、イエス様を受け入れて、私は同時に"古い私"を十字架にかけたのかもしれません。最初の頃は、まだまだ古い時代が邪魔をして、ついつい自分の知識で解決を図ろうとすることが多く、「こんなことまで依存してはいけないのでは?」などと、妙な戒めを自身に課すこともあったのですが、だんだんとそれがなくなってきています。こうして、ひとつ気づかせていただくたびに、私がきよめられるような、み心に近づけたような、これまでには味わったことのない、幸福感に包まれています。  

 次回は、私が「信仰のあり方」について、回答を得た話をしたいと思います。

 

証C 信仰のあり方について

   

 今日は、私に「信仰のあり方」が聖書を介して伝えられたときの話をします。  

 2001年8月上旬、私は、信じているつもりでいて、すぐに迷ってしまう自分、なにより、一体どのように信じればよいのか、そのあり方に少しばかり戸惑いを覚え始めました。イエス様が信じられないとか、神様が信じられないというのではないのです。日々の生活の中で、どういう態度でいるのがいいのか、なぜかわからなくなってしまったのです。  

 暗中模索で答えを求めていた私。あるとき、使徒行伝が読みたくなりました。  

 1619節以下です。伝導中のパウロとシラスは、むちで打たれ、足かせをつけられ、獄に入れられたあとも、神に祈り、賛美歌を歌い続けていました。その後、大地震が起きて、獄の扉が開き、他の囚人達が逃げ出したあとも、彼らはそこに留まります。彼らにおののきひれ伏す、獄吏の「救われるためになにをすべきか」との問いに、二人は「主イエスを信じなさい」と答えます。  

 私は、これだ、と思いました。同時に、獄につながれても、祈り、主への賛美を忘れなかったパウロの姿勢に打たれ、自分もこうありたいと心から祈らずにはいられませんでした。  

 一度信じて、それで終わりではないのです。この世を行く限り、誘惑は瞬間瞬間に襲ってきます。それに対し、無力な私は、神様を信じて、祈り続けるしかありません。否、有り難くも、神様を信じる以上は、祈り続けることが与えられているのです。  

 ふと、私は出来事の善し悪しに関する自己の視点からのどのような判断も、捨て去りたいと思いました。すべては神によって、私に良かれと作られている人生、そこに自身で意味を持たせては、罪の罠に陥るだけだということが、ぼんやりとわかってきました。  

 しかし、私はこのあとも、信じたあとも変わらず罪を犯す自分自身がはがゆく、行いと、罪の意識の関係について、すっきりと理解が得られず苦しみます。  

 次回からは、その過程と、私が徐々に解決を得ていく過程等を順にお話ししたいと思います。

 

証D 受  洗

 

本日は、私が洗礼を受けるに至ったプロセスについて、お話したいと思います。  

私が神に出会い、その存在、そしてイエスがキリストであると信じ、心に受け入れるに至ったのは、意思疎通も満足にできない外国(韓国)においてでした。人間とは兎角、自身の経験からの知恵で、理解不能なことはいぶかる傾向にあるようです。私もご多分に漏れず、なぜ、言葉も通じない国で、信仰も無く、言葉の勉強のために通い始めた教会から、「信仰を持ちたい、終生に渡り、キリスト者として生かされてありたい」との思いが湧いてくるのかが、不思議でなりませんでした。言葉が通じる日本で受け入れられなかったのに、どうしてなんだ?という思いからです。  

しかし、私がどれだけ自身を疑おうとも、私の心に灯った信仰の火は強まりはしても、消えようとはしませんでした。そして、ついには「洗礼を受けたい」との思いが生じ、それは次第に強くなっていきました。  

「洗礼」・・この世的な考え方にとらわれ、霊的に盲目であった古い自分が死に、神にあって新しい自分が生まれる、なんと素晴しいことでしょうか。なんと有難ことでしょうか。そして私は、キリストに従い、永遠の命を得るのです。  

そうは言うものの、正直に言えば、なんとなく躊躇する思いがないわけではなかったのです。その理由の筆頭は、イエス様をキリストと信じ、救われても相変わらず改まらない自分の罪深い行動にありました。当時、私の意識の中には、「洗礼を受けて正式なキリスト者になる(注:洗礼は、決してキリスト者であることの必要条件ではないので、この認識もおかしなものですが)」ということは、すなわち、欠点のない、もう罪を犯さない人間になること、という部分が少なからずあったように思います。つまり、まるで罪を犯さないようになることが、洗礼を受ける資格であるかのように思い込んでいたわけです。愚かな話ですが、意外と誰もが陥りやすい落とし穴ではないかと思います。そもそも、神の恵みによってしか義とされないというのに、この考え方では、まるで自分の努力により、救われると驕っていることになります。「驕っている」・・自分で思いついて、衝撃を受けた一言でした。良かれと思って考えていたことが、実は愚かであり、驕りであるという。神によって生きるということは、本当にこの世の常識という観念を完全に捨て去らないことには、感覚として得られないかもしれません。自分で頑張ることは、それこそが愚かなる驕りであり、ただひたすらに、自分の思いからの脱却と、神の想いに満たされることを願い求めなければなりません。これが何と難しいことでしょうか。  

私はなかなか、この行動重視、罪を犯す=キリスト者失格、という発想から抜け出せませんでした。しかし、聖書を読み、み言葉を味わい、毎週送られてくる礼拝メッセージを読み、繰り返し繰り返し、行動が大事なのではなく、前提なのではなく、信じることがすべてなのだと自身に言い聞かせるうちに、だんだんと深く理解されていきました。  

そういうわけで、「洗礼を受けよう」という思いはほぼ固まったのですが、次なる関門は「どこで受けようか」ということでした。当時私が通っていたのは、韓国にある教会でしたが、一時帰国の折りに通っていた日本キリスト教団七尾教会で、という選択肢もあるように思いました。いかがしたものかと、常時メールを通じてご指導を仰いでいた、ある伝道師様にお伺いしたところ、「そのことについても主にお委ねしては如何か」という名答が返ってきました。なるほど、早速そのような祈りを捧げ始めました。

反面、神様はどのようにして私に回答をくださるのだろうか?夢にでも現れてくださるのだろうか、また、私はそれが神様からの回答だとすぐにわかるのだろうか、と少しばかり案じてもおりました。  

ところが、神様はすばらしかったです。回答は、すぐにそれとわかるものでした。 どういう具合だったかというと、その時から一番最初の日曜日、私は礼拝の場で神様に、「12月23日、日本で受洗したいのですが、それでいいでしょうか?」との最終の問いかけをしようと、教会へ向かいました。

ところで、着いた先で目にした光景は、教会の長老・執事を決める投票の受付をしている人々の姿でした。「そうか、今日は投票日だったのか。」投票権は教会登録者でかつ、洗礼を受けている人にしかありません。もとより、私には誰が候補であるのかすらわからなかったので、仮に投票権があっても、無縁のものだったでしょうが。

すると、その場を過ぎ去ろうとする私に、笑顔で右手を差し出す人があります。見ると、いつも私が教会の中で席を求めてさまよっていると、導いてくれる、執事の女性でした。その方は、右手で握手をし、左手で私の肩を抱きかかえながら、開口一番、「今度日本に帰ったら、洗礼を受けてきなさいね」と言いました。私は驚きました。そして、次の瞬間、私は、自らが抱えて出かけた問いかけの答えをいただいたことを知りました。誠に神様はすばらしいです。  

そのときは、気が付かなかったのですが、今思うと、この出来事はすこぶる不思議なことでした。第一に、その日にそういった投票があるというのは、私はそこへ行くまで知りませんでした。洗礼が資格の一部になるという、そういう出来事がなければ、洗礼の話題など出てこなかったことでしょう。

さらに、意外なのは、実は、私はこの女性に対して、夏に、「韓国で洗礼を受けたい」と相談したことがありました。その際、この女性は韓国の牧師さまにその旨を伝えてくれ、韓国で洗礼が受けられるように取りはからってくれようともしたことがあるのです。それなのに、なぜ、いま、「日本に帰ったら」、「日本の教会で」、「受けて来なさい」(=これは、受けた後、再び韓国に戻ることを示唆しています。実際、女性の言葉は、あのあと、「そうすれば、投票もできるし、聖餐も受けられるし・・」と続きました)と言ったのか、ということです。「韓国で受けたい」という私の言葉を聞いているなら、「今度、ここの牧師さまから授けてもらいなさい」という言い方が、普通なのではないでしょうか。

 このように、振り返ってみると、なにからなにまで不思議につながっています。そして、すべては「主のご計画」であることを実感します。今更ながらに有り難く、胸がいっぱいになる思いです。  

こうして、私は2001年12月23日、日本キリスト教団七尾教会で洗礼を受けました。感激のあまり、号泣するのでは、と思ったのですが、そのとき胸に迫った思いは、感無量というよりは、あふれかえる喜びにも加えて、底知れず湧いてくる力でした。

 

証E 苦境を越えて、再び信仰へ・・

内灘教会との出会い

 

  「忙しい」という字が、心を亡くすと書くのは、誠によくできているなと感心することがあります。韓国駐在2年目後半を迎えた私の状態は、まさに仕事等での多忙から、心を亡くしたものでした。

 あれほど熱心に通っていた日曜毎の礼拝も、あるときには、ビジネス関係の来客の応対だったり、またあるときには、残り少なくなった駐在期間を活用しての韓国内旅行を優先したりして、行かなくなることが増えてきました。これに呼応するかのように、私の健康状態は徐々に、そして急速に悪化し、2002年8月末に派遣勤務を終えて、日本に帰国したときには、痛みで夜も眠れず、殆ど床から起きあがれないほどになっていました。  

 この状態は、一進一退を繰り返し、ついには入院生活までする羽目になりました。病室で、その年の初めから、私がしてきたことを振り返り、「なぜ仕事や遊びを優先して、教会に行かなかったのか」と、後悔しました。そして、これほどまでひどい病に陥ったのは、私に信仰がなかったからだとつくづく思いました。それから、一日も早く健康を取り返し、またぜひ礼拝に行きたいと、強く願い求めるようになりました。  

 3ヶ月にのぼる療養生活も収束に向かい、その年の暮れには退院、職場復帰も果たし、翌年(2003年)1月、どうにか日常生活に支障を覚えなくなってきた頃、そろそろ教会に行ってみよう、と思い立ちました。この間、金沢市内に転居もしていましたので、受洗した七尾教会に通うのはかなり骨が折れます。それで、家の近くでどこか良い教会がないかと、神様に、「どうか良い教会に導いてください」と祈りつつ、電話帳で探してみると、金沢市内にいくつか候補となる教会が見つかりました。当時、私には車がなかった(購入しようと発注はしていたが、納車がまだだった)ので、家から公共交通機関で行くしかないと思っていたのですが、バスを乗り換えて移動することは、まだまだ病み上がりの私には負担が大きいように思われたので、できることなら、車で通えるところがいいなというのが本音でした。  

 すると、その週の半ば頃、車を注文してあったディーラーから、「予想外に車が早く来たので、週末には持っていける」との連絡が来ました。当時、注文から納車には1ヶ月はかかるといわれていた人気車種だったのですが、結局1週間ほどで納車の運びとなりました。こうして、礼拝前日、土曜の夕方に、新車が届けられたのですが、その夜、「これは、車で行ける教会を探しなさい」ということにちがいないと思い、再び電話帳を開きました。そこで発見したのが、内灘教会だったというわけです。  

 教会までの道順を聞こうと電話をしてみると、牧師夫人らしき女性が明るい声で、親切に懸命に道案内をしてくれました。「こういう人がいる教会なら、選んで間違いはないだろう」と思いつつ、受話器をおきました。電話を切ってから、2年半ぶりにハンドルを握ることになる私が、無事に教会までの道のりを運転できるように、どうか雪が降りませんようにと、祈りました。  

 翌朝、北陸のこの季節には珍しく快晴の冬の道、私は新車で教会へと向かいました。そこは、韓国の教会に勝るとも劣らぬほどに明るく、温かい雰囲気で満ちあふれていました。忘れもしない、2003年1月最後の主の日のことでした。  

 その日より今日にいたるまで、出張や帰省で県外へ出ざるをえなかったときを除き、毎回礼拝へと招かれています。もはや礼拝が日々の生活の中心となっていますので、県外へ出たときでも、その土地の教会を訪ねています。そして、2003年夏、母教会である七尾教会と、内灘教会の承認を経て、教会籍をいただきました。天のみ国に既に居場所は作っていただいてはいますが、地上の教会に正式に自分の居場所が出来たということは、なんともいえない嬉しさでした。  

 最後まで読んでくださった方へ

どうもありがとうございました。ご感想ご意見お待ちしています。

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